産婦人科Mの造形はトガってるのか?
自分ではよくわかんないんですよね。
エゴサして色々引っかかるような有名人じゃないし…
僕ってわりと周りからは個性的な原型師だと思われてるような気がするん
ですけど、別に「自分の個性はこれだ!」みたいなことを主張したい
欲求は全くないんですね。
そもそも僕、そんなに変わってますかね?
っていう。
これとか。

これとか。

産婦人科的自己評価では自分はそんな変わったもの作ってないし、個性的でも
ないと思っているのですよ。
というのはさすがに嘘ですけど。ちょっと変わってる自覚はあります。
(というか「凡庸だ」と言われると確実に落ち込むと思います)
ただ、生まれてこのかた「自分だけの個性とは何なのか?」といった悩みを持った
ことがないし、人間の個性とかいうものにも興味がないんですよね。
なので造形に関しても「自分独自のテイストを出したい!これが俺の造形だ!」とか
全く思わないんですよ、本当に。マジで。
|『これが自分の個性だ』に縛られたくない
そういったわけで、自分の個性についてはあんまり考えないんですけど、それには興味がない
以外にも一応理由があって、
「自分の個性はこれだ」って気づいちゃうことの弊害を大いに気にしてるってことが
あるんですよ。
「自分はこういうものを作る人間だ」という自己規定の言語化に成功しちゃうと、その言葉が
日々の内声言語として脳内を巡って自己洗脳のようになってくるわけですよ。
そうすると、なにか良いアイデアが浮かんでも
「良いかもしれないけど、それは自分の個性には合わないから」
という理由で発想の種を逃したり、思いつくアイデアにバイアスがかかってきます。
それは断固避けたい。
常に自分が「今」良いと思ってることをベースにして、いつも前回とは違ったことを
考えながらモノを作っていたいので。
とはいえ、僕の中にも強烈な自己規定というか、体に染みついている自分ルールがあって、
「こういうの誰かが作ってたな、ありがちだな」
と感じたら反射的にボツにしてしまうっていう。
個性的でありたいとかは全然思わないけど、
「みんなはどうかわかんないけど、俺の中で今これが激エモ」
なものをベースにして、その上に造り込んでいく過程で
「こういう表現ありがちだな、ボツで」
を繰り返していくと、結果的に変わったものが出来上がってるって感じなんですかね。
みたいな。